1999年セビリア大会
スペインのセビリアで開催された第7回世界陸上選手権の女子10000mに弘山晴美が日本代表として出場した。 過酷な気象条件からスローペースが予想されていたが、実際は1000mから急激なペースアップで走力(スピードとスタミナ)が 要求されるハイレベルなレースになった。前半に先頭集団から離されてしまったた弘山だが、終盤に驚異的な追い上げを見せ、 4位まで順位を押し上げた。惜しくもメダルは逃したが、2大会連続の入賞を果たした。
1997年アテネ大会
ギリシャのアテネで開催された第6回世界陸上選手権の女子5000mに弘山晴美が日本代表として出場した。1ヶ月前に5000mで日本記録を マークしており、その好調子を維持し世界の舞台へ乗り込んだ。予選では、落ち着いた走りを見せ3位で通過した。決勝では中盤からのペースアップに 対応することはできなかったが、後半粘りを発揮し彼女の目標としていた8位入賞を見事に果たしてみせた。
1993年シュツットガルト大会
ドイツのシュツットガルトで開催された第5回世界陸上選手権の女子10km競歩に佐藤優子が、女子1500m・3000mに 弘山晴美がそれぞれ出場した。外国の強豪選手に混じり佐藤選手は19位と健闘した。一方、弘山選手は、外国選手のスピードに圧倒され 残念ながら両種目とも予選落ちに終わった。
「世界大会初参加だったシュツットガルト大会では、外国選手と実際に闘い、スピード不足を痛感しました。 今の私があるのは、この大会のカルチャーショック的な刺激のおかげだと思っています。私の競技の転機となった 大きな意味を持つ大会だったですね。
2回目の出場となったアテネ大会では、前回と五輪の経験が生きて、落ち着いて臨むことができました。 目標としていた8位入賞も果たし、生涯忘れることのできない大会となりました。一方では、世界の舞台で 5000mでメダルを獲得するのは容易なことではないとも肌で感じました。
世界陸上3回目のセビリア大会、世界大会のトラック種目の中でメダルを狙えるという意味で、一番闘いやすいと思っていた1万mに出場でき、 不安よりも楽しみのほうが大きかったですね(走る前は)。残念ながら、メダルは逃しましたが、順位・記録ともに 満足できる結果でした。しかし、ここでも世界のトップの実力を見せつけられてしまいました。これで、1500m、3000m、 5000m、10000mと順番に出場したことになります。幸せだと思っています。残すは、マラソンですね。」