日本選手権優勝の栄冠
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第83回大会で弘山晴美が女子1万mで優勝
1999年10月に静岡の草薙陸上競技場で開催された第83回日本陸上競技選手権大会で弘山晴美が1万mで2年ぶり2度目の優勝を飾った。この大会は翌年にひかえたシドニーオリンピックの重要選考競技会になっており、セビリア世界陸上の女子1万mで4位になっている弘山はオリンピックに向けて、ぜひとも勝ちたいレースだった。強風の悪コンディションで記録の期待は薄れる中、積極的に先頭を走り、最後の400mを63秒2でカバーする強い内容でシドニーオリンピック代表を確実なものにした。
弘山選手のコメント
「セビリアの世界陸上から好調子をキープしていたので、日本記録をねらうつもりでしたが、強風のため気持ちを勝負に 切り替えて走りました。シドニーオリンピックの重要選考競技会に指定されていましたから、とにかく勝ちたかったのです。途中からは、どこでラストスパートをするかを考える余裕があったほどで、今日は快勝でしたね。とにかく今年の日本チャンピオン になれたわけですから、とてもうれしいです。」
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第81回大会で弘山晴美が女子1万mで優勝
1997年10月に国立競技場で開催された第81回日本陸上競技選手権大会で弘山晴美が1万mで優勝した。この大会には8月の世界陸上のマラソンで金メダルを獲得した鈴木博美選手、1万mで銅メダルを獲得した千葉真子選手、決勝進出を果たした高橋千恵美選手、5000mで決勝に進出した川上優子選手など豪華な顔ぶれが揃った。弘山はラスト400mを62秒でカバーする驚異的なスパートをきめ、快勝した。
弘山選手のコメント
「大会前から千葉・鈴木両選手の争いみたく言われていたので、絶対に勝ちたかったし、トラックでは日本選手には負けられません。日本選手権は日本のチャンピオン決定戦であり、優勝はその年の日本一ということになります。ですから、日本選手権に勝つということは 簡単なことではなく、特別な思いがありますね。勝てたときは、感慨深い気持ちになるものです。」
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第80回大会で大場康成が5000mで優勝
1996年6月に大阪の長居競技場で開催された第80回日本陸上競技選手権大会で大場康成選手が5000mで優勝した。この大会はアトランタ五輪の最終選考会となっていたが、スローペースで流れた男子5000mで、大場選手は落ち着いたレース運びで見事に優勝。日本一に輝いた。スローペースのため五輪標準記録の突破はならず、残念ながら代表には選ばれなかった。
大場選手のコメント(レースを振り返って)
『無欲の勝利』という言葉に対して、『有欲の勝利』(勝ちに行って勝つこと)を達成する難しさは、皆さんも想像が出来ると思います。当時の私の目標は「日本選手権の『有欲の勝利』」でした。日本選手権はどうしても縁が薄く2位2回が最高。勝てそうなときに限って予選落ちをしたり、レース3日前に盲腸になったりと散々でした。そんな中、96年の日本選手権は当初から勝ちを意識しており、思惑通り勝つことが出来ました。2位とのタイム差は1秒もありませんでしたがタイム差以上の圧勝であったと思えるくらい自在なレースが出来ました。生涯の中で最高のレースだったと思っています。
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第76回大会で鈴木晴美が1500mと3000mの2冠達成
1992年6月に国立競技場で開催された第76回日本陸上競技選手権大会で鈴木(旧姓)晴美が1500mと3000mの2種目で優勝した。初日に行われた女子1500mで、鈴木晴美選手はスタートから飛び出し、他を寄せ付けず4分12秒40の日本新記録で圧勝。翌日の3000mも9分04秒18で制し2冠達成。女子の最優秀選手に選ばれた。バルセロナ五輪の最終選考競技会になっていたが、惜しくも五輪参加標準記録に及ばず、残念ながら代表には選出されなかった。
日本選手権での優勝
- 年度
- 出場者
- 種目
- 記録
- 年度
- 1992年
- 出場者
- 鈴木 晴美
- 種目
- 女子1500m
- 記録
- 4分12秒40(日本新)
- 年度
- 1992年
- 出場者
- 鈴木 晴美
- 種目
- 女子3000m
- 記録
- 9分04秒18
- 年度
- 1996年
- 出場者
- 大場 康成
- 種目
- 男子5000m
- 記録
- 13分47秒
- 年度
- 1997年
- 出場者
- 弘山 晴美
- 種目
- 女子10000m
- 記録
- 31分22分72
- 年度
- 1999年
- 出場者
- 弘山 晴美
- 種目
- 女子10000m
- 記録
- 32分08分00